丸の内の金融機関で社会人始めて10年ちょっと、自分の会社との付き合い方を振り返ってみた。出向、合併、様々な変化を通じて見えたこと。

昨日、大学時代の同期と飲む機会があり、その中で仕事の話にもなり、題名に書いたようなことを考えるきっかけを得た。

 

 

 

自分のやりたいことをやりたいと発信すること

友人との会話で出てきた弁護士さん。

 

記事が転職サイトなので、全体の方向感は転職に持って行く流れはあるものの、きれいな方だなぁはもちろんのこと、仕事に対する考え方は非常に参考になった。

 

今の時代は当たり前なのかもしれないですが、自分の会社の外でもどのような評価されてるのか、とても重要だなと。

 

研究開発とかなら、外に出しづらい、出て行きづらいとかはあるかもしれないですが、企画とかマーケティングとかなら意識しないとダメですよね。

 

外の人達は、普段の仕事を近くで見ているわけではないから、多分に印象論や特定のエピソードで形付けられるイメージだったりするでしょうが、つまりはこうだよね、結局は、といったキーワードがあるからこそ、外にも出ていけるんだろうなと。

 

だからこそ、ソーシャルメディアを上手く使って、こういう事をやってますと発信する旨さも結構大事なのかもしれない。

 

 

 

仕事が外の世界と近くなってきた瞬間

僕なんて、おそらく会社では常にプンプンしてる変わり者くらいのイメージしかないだろうし、あるいはSNSに食べ物の写真ばっかりあげて食べるの大好きイメージ?、あとは自己反省をこめたグチっぽいこと書いては笑われる(笑)。

 

仲良い人なら、わかやまの活動やってるよねー、とか言われたりすることもありますが😙

 

 

 

そういう意味で、先日のFINSUMでとあるアクセラレータのパネラーとして出させていただけたのは僕にとっても、自分を会社の外とつなげてくれるよい機会だった。

 

プライベートの発信はいくらでもあったのですが、たとえ数分であっても、仕事の延長で外とつながったというのが今の自分にはとても大きい。

 

機会を与えていただけた藤井さんには本当に感謝。

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なぜ、自分は今の会社にいるのだろうか?3つの理由でまとめてみた

友達によく言われる。

あんだけSNSで文句書いてて、何で会社辞めないの?

あるいは辞める気がないなら、ああいうの書くのは単なるリスクとかにしかならないよと。

 

僕の中では、何となく答えが出ている。

 

 

どこで働くかはあまり重要視しておらず、誰と何をやるか

一つは組織というより、やりたい事を優先。

(会社の方向性とズレてないかは大前提)

自分は何をやりたいのかが重要。

 

で、それをやるのに今いる環境がやりやすいのか、自分でやるのがいいのか、という感覚。

外から資金を調達するのか、中で予算という形で調達するのか、その相対的な比較でしかない。

 

単に資本コストだけでなく、取り組むべき事業に集中させてもらいやすいか等間接コストも含む。

例えば、箸の上げ下ろしまできいてくるのは、ものすごくコストが高いということ。

 

 

 

会社に金◯を握られつづける自分

二つ目は、いくら偉そうに言っても、今までの蓄えだけでは家族(独身だろというツッコミはなし)含む自分の身近な人を守ることができないということ。

 

今のスタイルを続けていても、永遠に働き続けないといけないし、それが少しでも相対的にマシになるように仕事でもある資産形成は他の人に勧めるのも含めてやっているわけだが、全然足りてない。

 

はっきり言う。

値段が下がるのは絶対イヤとか言って何の資産形成もしてない人達で、僕より給料低い人は、親からの財産がつげるとか、何か玉の輿プランがあるならいいけど、そうでないなら真剣に考えて始めるべき。

個別商品の良い悪いとかをやって止まってる場合じゃない。

 

昨日もある人から、君ならどこでもやれるでしょ?と言っていただき、咄嗟にいやいやと言ったものの、他の場所で働く自信が全く無いわけではない。

 

ただ、色んなことがあって、今は動けない。

 

 

 

採用してもらった縁と、そこで出会った人達

三つ目は、採用してもらったことへの罪滅ぼし。

 

入社は本当に偶然

学生時代、他の就職活動生の面倒みながら、自分の就職活動をやっていて、パチンコとか、どベンチャー重厚長大産業まで、何百と会社を見ることができ、こんなタダで会社のことを知れるなんて何ていいチャンスだと思って楽しんでいた。

 

だから、小型株のマネージャーって面白いんじゃないかと思っていた。

 

 

ただ、資産運用会社っていう存在に気づくのが多少遅かった。

 

確か、最大手AMは採用終わっていて、まだやっていたのが別の会社だけだった。

 

その会社では、面接の途中で、地域活性化に帰するファンドというか、このファンドという仕組みを使って社会の活性化をやってみたいが、ミュージックセキュリティーズのようなもので、それを御社で出来るか考えてみたいとクソ生意気なことを言ったのを覚えてる。

 

その時の面接官には、地元企業に投資するみたいなことか?と言われ、うーん全然違ってたけど、当時は自分の頭に答えが見つからず、また分かりませんとも言えず、そうなんですかねぇと言って、その面接で玉砕した(笑)。

 

 

その後、GW開けに今の会社を受けた。

ぶっちゃけ、何か大学院生の初任給が少し高かったので、ダメ元で一社受けてみようと選んだ(笑)。

 

ここも採用は終わっていたんだけども、受けさせてもらえませんか?と電話したら良いですよと言ってくれた。

 

面接をした面接官が、採用期間外にも関わらず親身に対応してくれた。

正直、高校野球の話しかした覚えはない。

でも、上に上げてくれた。

今はもう既にいない方だけど、この方への感謝を返すためにずっと頑張ってきた。

 

またその時に他の内定ももらっていたのだが、お前はもっといろんな企業を見てこいと言ってくれた。その会社のTさんには今でも感謝している。

今も大好きな会社である。

 

責任の取り方、自由にやらせてくれる、垣間見た上司の人間性

社会人6年目になる直前だろうか、でっかいミスをした。

その時の上司は実は今の上司なんだけども、反省はもちろん促されたけど、細かいことは言わず、僕のミスを背負ってくれた。

 

その後、僕は銀行に出向。

当時、ドラマで半沢直樹が流行っていたこともあり、ミスをした自分への当てつけだという冗談はさておき(笑)、初めての戦略的出向はお前しかないと言ってくれた当時の専務、また送り出してくれたその時の上司に返すまでは辞められないと思った。

 

 

2年経って自分の会社に戻ってきた。

その頃、組合の委員長にも就任。

 

環境は大きく変わってたけど、その時も上司には恵まれた。

自分の社会人スタートした時の上司で、何か運命的なものを感じた。

外で見てきたものを活かしながら、やりたい事をやれと言ってくれた。

 

その次の上司も同じ。

どちらも意思表示をするタイプなので最初は少しの言い合いもあったが(笑)、ベースの所をしっかり共有した上で結局は相当自由にやらせてくれた。

 

ほんと自由にやらせてもらえるというのは贅沢な話だと今から考えても思う。

 

次の会社を決めるのは各自の小さな動きから

2000年代にかけての急激な成長の揺り戻しもあり、僕が入社した2007年以降は会社としても厳しい時期だったかもしれない。

 

それでも、新しい事への取り組みが一つずつ花開きつつあるという感覚はあったし、何となく会社は一つの方向を意識しつつも、商品も営業も各担当者がその土台の上に各自の創意工夫を出していく環境があって、若い営業が工夫した資料を作ってベテランにプレッシャーかけたり、パフォーマンスが良かったのになかなか売れなかった商品を何とかしようと拘って頑張った一営業マンの動きが、日本全国に広がっていくダイナミズムみたいなものも見た。

 

これなら再度お客さんに受け入れられる商品を打ち出していけるかもしれないと、正直本当に思っていた。

 

今でも思うが、ダメならダメと上と下が常に喧々諤々とやり取りしてたり、担当レベルの多くがどうやったら次のタネを見つけられるか、全体の方向性はやりつつも、独自色を見つけ出そうとするそのボトムアップな感じが僕はとても好きだった。

 

 

合併ストーリーは突然に

その矢先に、突然合併の話が来た。

うまく行きかけていた時期だったとはいえ、中期的な低落傾向の期間が長すぎたのかもしれない。

 

何で?と思いつつ、組合の委員長だったこともあり、当時百人を超える組合員に直接話を聞き、合併に備えた。

今となってはそれも良い思い出ではあるが。

 

 

合併のタイミングで、色んなエージェントの話を聞いたし、実際決まりかけたところもあって、ただ組合の合併等までは待ってもらいたいとお願いをしていた。

 

合併の所で不安に思う方々の話を聞いて、大丈夫なように頑張りますと、言う側だった反面、そんな人がその途中でやめる事なんて許されないと思ってたからだ。

 

決まりかけていたところは、正直今の給料よりもかなり高かった。しかし、その後タイミングのズレもあり、その話はなくなり、合併先にそのまま移った。

 

合併を経験してみて

合併先は今も現在進行形なので、具体的なことを書くことは控えたいが、久しぶりに振り返ってみて、僕は多分合併前の元会社のボトムアップで皆が工夫していく空気感がすごく好きだったんだなと思う。

 

合併当初は、なめられてたまるか、と言う気持ちがめちゃ強かった。

何ですかねぇ、会社は無くなっても、その魂は死んでない!的な感じです。

もちろん、今は一つの会社なので、そういうのはないですが(笑)。

 

 

合併最初の日に、全社に投げたメールの、内容もまだ覚えてる。

 

僕達にはたくさんの商品がある。

だけれども、たった一つとして勝手に売れていくわけではない、どれも手の掛かる赤ちゃんみたいなものです。

だからこそ、皆でしっかり掘り起こして良い物は良いということをしっかり外に発信していきましょうと。

 

 

合併先の会社の人達も皆良い人達ばかりで、ただ雰囲気はものすごく変わった。

良い悪いではなく、ものすごく変わった。

合併ってのはこういうものなんだと、実感した。

それはこの先の仕事をやるにあたっても、良い経験を出来たなぁと思う。

 

 

他の金融機関を見てても、旧どこどことか、出身母体で呼び合う文化があるみたいなので、本当の合併というのは、もしかしたら自分のような旧なんとかみたいな人がマイノリティーになった時なのかもなと思う。

 

文化というか、空気感というか、誰が作ってるかよく分からないものがある。

もしかしたら社長なのかもしれないし、役員なのかもしれないし、一般的な社員の目立つ人なのかもしれない。

 

もし、今の自分が旧なんとかを出してしまっていたら、それはこの会社にとってはマイナスなんじゃないかなと思うこともある。

それを理由に早くやめようと思ったのは、正直ある。

 

 

 

最後に

お客さんからすると、どこの会社かも大事だが、今までのサービスをさらに品質良くしていけるかどうかが大事。

 

そのために、自分は敢えて会社と距離を置いてるところもある。

飲み会に誘ってもらうのは嬉しいので、そういうのは行くのだが、会社の人とだけ仲良くしてるみたいな関係にはなってはいけないと思っている。

 

他の会社や団体と比べて、うちの会社はどこがよくてどこがダメなのかとか、冷静でかつ建設的な批判ができる人間でありたい。

それを言うと、お前は社外取締役か?と茶化してくる友人もいるのですが(笑)。

 

僕のモットーは、楽しい仕事があるのではなく、仕事を楽しくするのは自分の心がけ次第。楽しい環境を探すのもそうだけど、今いる環境をどうやって楽しくできるか、ということ。

 

ま、上記の理由もあっていつまで今の会社にいるかは分からないけれど、各自やりたいことで自分の力を最大限に発揮し、何をやるか?優先で話ができたらいい。

 

どの会社にいるかとか、そんなちっちゃいことを気にしないといけない日本という社会はまだまだ未成熟なのかなと。

 

会社なんて複数所属してたって何の問題もないし、自分でやりながら組織を使いながら実現したいことがあるのも普通で、その両方を触れるのが普通になれば良いのになぁと思う今日この頃です。

 

ネガティブの裏側にあるポジティブを支えるテクニック

9月18日のウカスカジーのライブ「ポジティ部🆚グッジョ部」に行ってきました。

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会場は、新豊洲にあるMIFAというフットサルコート&豊洲PITと呼ばれるライブスペース。

 

ウカスカジーというのは、Mr.Childrenの桜井さんと、ラッパーのGAKU-MCさんによるユニット。

 

お互いをGAKU、SAKU(桜井さんのさく)と呼んでおり、それをつなげた「GAKUSAKU」を後ろから呼んだのがウカスカジー(UKASUKA–G)と。

 

だから、TシャツとかにはUKASUKA−G表記になってます。

 

ライブ概要はこちら。

 

ネタバレサイトではないので、詳細は割愛しますが、16時開場で終わったのが20時半過ぎ。

 

約4時間半にも及ぶイベントで、足はガタガタ、振り回した腕はやや筋肉痛。

 

気分転換だけでなく、運動不足解消にも役立ちましたよ…。

 

 

 

 

 

このライブ中に、桜井さんが言っていたことで一つ印象的なことがありました。

 

それは、生きていれば、ハッピーがずっと続くことはなくて、良い事と悪い事はいつも繰り返しでやってくる。

 

ハッピーは相対的なもんなんだよね。

 

みんなも久しぶりにライブに来てるから、そんなに楽しそうにしてるけど、毎日ライブだったら参っちゃうでしょ(笑)。

 

悪い事を思いっきり突き詰めて、笑い飛ばしてやることができれば、人生も楽しくなるんじゃないかなと。

 

 

 

 

 

なるほどなぁ。

 

この話を聞いてふと思い出した事があります。

 

それは、辛い時にネガティブになり過ぎないために何が必要かということ。

 

僕の基本方針として、「世の中に不可能なことはない。不可能と決めるのは、その人の気持ちであって、常に代替案を探す努力をしよう。」

 

というのがあるんですが、それにも近いものを感じたわけです。

 

 

 

 

 

そう思うようになったきっかけは、実はある本を読んだのがきっかけ。

 

ある本というのはこちら。

 

読んだきっかけは、大学の時だろうか、友達と何か新しいビジネスでも考えてみようよという話になった時のこと。

 

発想に全く自信がなかった自分は、当時流行った「考具」だとか、発想術系の本を手当たり次第読んでいた。

 

そんな時に出会ったのがこいつ。

 

物事は大抵、既存と既存の組み合わせで出来ている、というシンプルなメッセージを発していたこの本に助けられたことを、今でも良く覚えてる。

 

 

 

 

 

人間が新しさを感じるのは、その組み合わせが斬新であるがゆえ。

 

であれば、元々関係ないものを組み合わせて無理やり新しいものを作る訓練をすれば普段から発想が得意になるのではと、

 

毎日見るもの、見るものを組み合わせてはかきだしていた。

 

 

 

 

 

で、ある時、その作業に飽きた。

 

そこで、逆をやってみたらどうだろうとやり始めたのが、以下の作業。

 

このアイデアを思いついた人は、

一体、何と何かを組み合わせたんだろう、

何を見た時にこれに行き着いたんだろう、

と逆推する。

 

この練習をやっていると、

 

今こうなっているのはどうしてなんだ?

その原因がこれならば、この部分を変えてやるにはどうしたら良いか?

 

というふうな思考方法が自然と出来るようになっていった。

 

もちろん、実際には出来ないことはあるのだけれども、

 

問題が発生した時にも、何がしかやり方はあるだろうと思えるようになり、余裕が生まれ、追い込まれた感じにはならないようになった。

 

 

 

 

 

例えば、何か新しい事をやりたいが予算がなくてそれを購入することが出来ないケースがあるとしよう。

 

一度使ってみれば、それが良いものかどうか判断できたり、適正な価格付けを出来るかもしれない。

 

一方、サービスを提供する側もすぐにお金を貰えるに越したことはないが、予算がないという相手型の事情もよく分かると。

 

サラリーマンによく見られるのが、予算がないからすいません、とその状況から何も前にすすめられないというもの。

 

でも、例えばお金を払わないにしても、

 

一度使わせてもらえれば、開発に必要なフィードバックを返します、それで一度使わせてもらえませんか?とか、

 

何がしかの代替案を出せるかどうか。

 

 

 

 

 

※大学の時に先生が「移動知」という概念を提唱されていて、当時はロボットが自分の位置を周りの環境の情報から推定するための話だったんだけど、僕はこれをビジネスでも同じ事が言えるなぁと思っていつも意識してる。
同じ物事でも、自分の立場や知識、経験が変われば、違う風に見えることは多いので、とりあえず何でも取り組んで見て、自分を動かしてみる事が重要ではないかということ。

 

 

 

 

話が脱線してしまった。

例をもう一つ。

 

会社のセキュリティ上、ネットワークでは見られない動画コンテンツがあるとしよう。

 

新規事業に関わっていて、このコンテンツは有用そうだということは分かっている。

 

今後もその組織内で経験のないことにどんどん挑戦していかないといけないので、こんな事くらいでつまづいてる暇はない。

 

 

 

組織によって答えは一つではなく、

 

正攻法にシステム部と掛け合い、そのコンテンツの必要性を説いてみる方法もあるだろうし、

 

画面小さいかもしれないが、自分の携帯やスマホで見るという方法を使うこともできる。

 

しかし、大企業とかによくいると言われる指示待ち族の人間は、意外とこういう機転を利かすという事ができないやつが多い。

 

 

 

 

 

2つの例に共通するのは、

 

何らかの課題が目の前に来た時に、

幾つの選択肢を提示する事が出来るか?

という事。

 

こういった選択肢の数が、

ネガティヴをポジティブに変えるための大切な要素なんじゃないかなぁなんて思ったりする、

今日この頃です。